スタッフ紹介
スタッフ紹介
当院は、地域No.1の接遇「明るく元気に、親切、ていねい」を信条とし、地域で最も愛される接骨院を目指しています。
当院のスタッフは、全員国家資格を保有しています。また社内研修を実施し、全スタッフが常に技術の向上に努めております。
患者様に笑顔になっていただけるよう、心を込めて施術いたします。
ご来院お待ちしております。
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ほのぼのワイワイ
- 秋元 雄朔(あきもと ゆうさく)
- 施術スタッフ
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出身地:埼玉県さいたま市
血液型:A型
趣味・特技:ゲーム
資格:柔道整復師 - 地域のみなさまへ僕は「人より時間がかかる人間」です。しかし、時間をかけたからこそ施術家としてのスキルは今では大事な武器・味方になっています。お辛い症状、なんとかします。お任せ下さい!
施術家になるまでの自分僕が施術家になろうと思ったのは高校生の時でした。この職業のあるある(恐らく)として、「スポーツでのケガの治療でお世話になり、憧れた」という事がありますが、僕の場合は全然違います。その頃は特にやりたい事が無く、毎度学校で聞かれる進路調査表が苦手なレベルでした。そんなある日、日常的に肩こりや腰痛が頻発する家族をみて、見様見真似で押したりほぐしてみました。その後は身体が軽くなった様で続けて「ありがとね」と感謝されました。その時何だか嬉しくなった事を良く覚えています。それから、家事やパートで疲れた家族を定期的に施術する様になりました。そんな生活を繰り返している内に、「見様見真似ではなく、根本的に施中してみたらどうなるのだろう」と考える様になりました。それと同時に施術後に毎回「楽になったよ」「ありがとう」と、[自分がした事に対して感謝される嬉しさ]を強く感じる様になりました。この時に僕の施術家の根本の「家族を心身共に楽にしてあげたい」と「自身の手により感謝される事」をしたいと思うようになりました。そして、そこからこの2つが実現出来る職業を聞いたり調べた結果、現在の自分の職業である柔道整復師に辿り着きました。
新人・修行時代の自分僕が初めて接骨院の現場に立ったのは、専門学生時代でした。アルバイトとして電気付けや患者様のご案内をしながら先生方の動きやトークスキルや施術スキルを目で盗み、施術に必要なスキルを習得する為に空き時間に練習を重ねて、気になる事は質問する日々でした。就職活動をするにあたり、他の技術も学んでみたいと思うようになった事から別の接骨院グループに就職しました。そこでも同様に勉強の積み重ねでした。新人研修で理念・施術家としての在り方・技術を習得する為に繰り返し練習しました。僕は「人より時間がかかる人間」だと自覚しているので、周りに遅れを取らないように自分なりに試行錯誤しながらの新人研修でした。1ヶ月間の住み込みでの新人研修を終えて、最初の配属先が決まり、新たに施術家としての一歩が始まりました。アルバイト時代は電気やマッサージだけ行い、途中で他の先生にバトンタッチしていたのに対して、最初から最後まで患者様を診させて頂いた時の緊張と汗と焦りとそれを隠そうと必死だった感覚は今でも忘れられません。しかし、その後に患者様から「凄く良くなった、ありがとうございました」と言って頂けた時の込み上がる嬉しさも同時に記憶にしっかりと刻んでいます。「慢心せず、初心忘れるべからず」の精神は現在でも心がけています。
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地域一番の整骨院になる
- 河森 一徹(かわもり かずあき)
- 施術スタッフ
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出身地:東京都世田谷区
血液型:A型
趣味・特技:読書、サスペンス視聴
資格:柔道整復師 - 地域のみなさまへ私はまだまだ施術家の風上にもおけません。まだ先輩先生に怒られる姿を見せるかもしれません。でも私は努力を重ねて皆様のお悩みやお辛いところをしっかりとっていきます。そこに助けてくれと声があるその声を拾わないのは施術家失格です。地域の方は優しい人ばかりです。ティッシュ配りを外でした時も「兄ちゃん笑顔で配りなさい!笑顔で楽しくやればもらってくれるよ」とアドバイスをもらい実践したところもらっていただける患者様が増えました。この地の人々の情に熱いところが私達の支えになっております! その情に応えなければどんどんと離れていってしまいます。そんな悲劇を繰り返さないように努めてまいりますのでどうかよろしくお願いします。
施術家になるまでの自分自分は河森家の次男坊です。祖父が歯科技工士、父と従姉妹の叔父は歯科医師、兄は内科医、従姉妹の次女は看護師・保健師です。 小さい頃軽度の発達障害でした。小学生時代はいじめられましたが、高校時代には医療家系である身なので将来は医療系に進む事はあらかじめ決めていました。両親は医療系に進まなくても別にいいあなたの好きにしなさい。という考えです。自分はお年寄りが好きなのでお年寄りが悩んでいる腰痛や肩こりを治すんだという考えも頭の中にはありました。大学時代は勉強時間が足りなく国試浪人を経験しました。心を入れ替えてがむしゃらに勉強した結果、柔道整復師国家試験に合格しました。自分が医療系に目指そうという考えを強固にしたきっかけは母方の祖母の死でした。大腸ガンを発症した祖母は人工肛門の後遺症で腸閉塞を発症しました。腸閉塞を放置した結果危篤状態になり、兄が研修中の静岡の病院から秩父の病院へ駆けつけました。 その後祖母が息を引き取った後に秩父の病院にいる女医さんが聴診器を渡して「これで死亡確認をしなさい」と言われて死亡確認を行ったそうです。そのエピソードを聞いて医療系を志しました。自分には目指すべき背中があります。父の背中と兄の背中。父は治療をして薬を指示している背中と兄がヘルニアになりながらも机に向かい勉強している背中。そんな背中を小さい頃からずっと見て自分は育ってきました。そんな背中は自分にとって眩しく超えられない背中でもあると今も思っています。
新人・修行時代の自分国家試験に合格した後初めて社会に出ました。社会はどういうものだろう?という頭にハテナを浮かべながら社会に出ました。それが甘かったのです。このケイズグループに入社して一番思い出にあるのは池袋での研修でした。まだMAにも入れず。レセワンやCRMとは単語からして分からない事がいっぱいありました。7・7書いて14・14書いてと言われた事がいっぱいありました。それを分からず先輩に押しつけてしまう事がただありました。MAも臀筋周りの圧をかける事が出来ずてんやわんやした事もあります。チラシ配りは夏真っ盛りの時期に行き同期の人間と身体がバテバテになりながら行った覚えが目に浮かびます。ふじみ野に新店舗ができた時には10分間休憩して配った覚えがあります。会計業務しかできない自分は半端ない虚無感に襲われてました。ここに配属される時に患者様に声が小さいや圧が弱いと何度も怒られた事があります。先輩先生からは影が薄い人間だと後に聞かされた事がありました。周りが見えない。仕事が覚えられない。たくさん怒られ、トイレで泣いて、辞めようかと思いましたが院長先生に止められて情に熱い先輩先生に励まされてここまでやってこれました。今も続々と新入社員が入ってくるためその社員を見ていると自分の写鏡のようなものです。自分にはやっぱり大好きな患者様がいたため辞めるのを辞めました。